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林哲司


国実 百合(くにざね ゆり、1970年12月19日 - ) は、日本の歌手。現役時代の所属事務所は芸映プロダクション、レコード会社は日本コロムビア。本名國實百合(結婚前:読みは同じ)。引退後結婚、土屋姓となりセラピスト・マヤ暦カウンセラーとして活躍中。2023年に歌手活動を再開。…
14キロバイト (1,807 語) - 2024年1月15日 (月) 22:52

(出典 static.mercdn.net)


多くの人がいたんですね~

1 フォーエバー ★ :2024/01/15(月) 17:33:47.22 ID:jWPb1jW49.net
1/14(日) 11:10配信

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53歳・国実百合 エステティシャン、カウンセラーを経験後に2児の母
33年ぶりにステージに立つ国実百合さん【写真:舛元清香】

 元アイドルの国実百合さんが今月15日、33年ぶりにアイドルイベントのステージに立つ。事務所の先輩、河合奈保子、石川秀美、芳本美代子に続くホープとして1988年にシングル『青い制服』でデビュー。多くの歌番組、バラエティー、CMに出演したが、わずか3年で芸能界を引退した。もともと病弱だった彼女は、忙しさで疲弊して腎盂炎を発症。病の悪化で芸能活動を続けられなくなった。その後、エステティシャンやセラピストとして活動しながら、母親として一男一女を育てた。そして、53歳になった今、再びファンの前で歌うことを決めた。その理由を聞いた。(取材・文=福嶋剛)

【写真】“素肌にオーバーオール”の大胆カットも…国実百合さんのアイドル時代の姿

 国実さんは高2だった87年、河合、石川らを輩出した大手事務所の芸映と日本コロムビアが主催した「ザ・オーディション・ボーイズ・アンド・ガールズ」でグランプリを獲得した。翌88年にレコードデビュー。同期にはWinK、西田ひかる、藤谷美紀、中山忍、高岡早紀らがいた。

「松田聖子さんに憧れて親に内緒で応募しました。でも、デビューが決まってからは緊張と忙しさの毎日でした。記憶もほとんどなくて、アイドルになれたうれしさを噛みしめる暇さえありませんでした。子どもの頃から人見知りで、デビューしてからもスタジオでみんなの輪に入ることもできませんでした。いつもポツンと1人ぼっち。そんな私を先輩の芳本美代子さんがいつも励ましてくださり、箱根にドライブに連れて行ってもらったりしました。雑誌の水着グラビアでもご一緒して、本当のお姉さんみたいな存在でした」

 だが、91年に芸能界を引退。リリースしたシングル12曲を残し、きらびやかなステージを後にした。

「小さい頃から体調を崩しやすくよく入院していました。デビューしてからも仕事の合間に入院することもありました。最後は活動をお休みすることになり、そのまま事務所を辞めました」

 病気が回復してからはエステティシャンも経験し、カウンセラーとしても活動した。その後、2児の母親として子育てに専念。長男は27歳、長女は22歳になった。

「娘が20歳を過ぎた頃、コロナの自粛期間などもあり、自分のことを振り返ると同時にこの先のことも考える時間がありました。そこで押し入れにしまっていたアイドル時代のグッズやアルバムを引っ張り出し、記憶を取り戻す時間を作りました。アイドルだったあの頃、あんなに憧れていた世界だったのに入った瞬間から記憶がなくなってしまうくらいの過去です。その時期を振り返っていると、私のために必死になって支えてくださったたくさんの方々の顔が浮かびました。そして、『あの頃の忘れ物を取りに帰りたい』と思うようになりました。当時とは全然違いますけど、『国実百合として再出発してみたい』という気持ちがわいてきました」

 恩師との再会が、大きな後押しになった。

「昨年4月、私のデビュー曲から担当してくださった林哲司先生の作曲家50周年コンサートがありました。私は西村知美ちゃんに誘っていただき、ごあいさつに伺いました。作詞を担当された売野雅勇先生もいらっしゃったので、思い切って『先生方が作ってくださった歌をもう1度、YouTubeで歌わせてください』とお願いしました。そして、『自分の歌なんですから。歌っていいんですよ』と言っていただき、『よし、やってみよう』と決心。5月にはブログを再開し、YouTubeも見よう見まねで始めました」

次ページは:クローゼットの中でYouTubeの歌唱録音

https://news.yahoo.co.jp/articles/50f4a582b71fe8411722972fd5c31d5f92f1f76e


(出典 encount.press)

【【こんなにも?】国実百合さんの「ある過去」に当時の激しさを感じることに】の続きを読む


哲司(はやし てつじ、1949年8月20日 - )は、日本の作曲家、編曲家、シンガーソングライター。静岡県富士市出身。 静岡県立富士高等学校、日本大学商学部卒。 五人兄弟の末っ子として生まれる。幼少の頃から兄の影響で米国のポップスを聴いて育った。 20歳の頃にヤマハが主催する音楽スクールに入り、…
55キロバイト (5,277 語) - 2023年10月20日 (金) 20:51

(出典 cdfront.tower.jp)


これは難しいですね~

1 湛然 ★ :2023/10/26(木) 06:41:01.23 ID:gdX2lJvf9.net
林哲司がアメリカでシティポップが人気の理由を分析
10/25(水) 12:43 文化放送
https://article.yahoo.co.jp/detail/20e5d200bc7ab0993612a9f7c4b2f947400b58c4


10月25日放送の「くにまる食堂」(文化放送)は、シティポップを代表するメロディメーカー・林哲司さんが出演し、アメリカでシティポップが受けている理由を語った。

野村邦丸「今、シティポップブームだと言われてますけど、なぜアメリカの人たちに受けていると思われますか?」

林哲司「究極は、一言で言ってしまうと、80年代の音楽でも、なぜアメリカ人がそこに自分たちの自国の音楽に帰らなかったかというと、自分たちの両親が聞いてたものは古いんですって。

邦丸「そうなんだ~」

林「外国人のDJから聞きましたけど。でも日本のその当時作ったものは、一番の肝心な所は哀愁感ですって。これがアメリカのドライな感覚とちょっと違うみたいです。それが、日本の独特の感性みたいなもので、世界の方たちが憂いを感じている」

邦丸「当時、そういった部分は意識して作っていましたか?」

林「当時は正直、洋楽っぽい書き方はしてるんですけど、ある時期からちょっとドメスティックに日本人の琴線に触れるような書き方はしてます。それは完璧に洋楽的に書くものと、日本を意識したものとはちょっと一線を画すんですよ。音楽的に説明するとわかんない方がいっぱいいると思うので、具体的なことは言いませんけど、ちょっと泣きを入れるんですよ」

邦丸「へ~」

林「簡単に説明するしますと、例えば杏里さんの“悲しみがとまらない”。歌詞の“I CAN’T STOP THE LONELINESS こらえ切れず悲しみがとまらない”の“悲しみが止まらない”のとこのコード進行とかメロディの取り方は、ググッとくるように、自分自身もうるっときながら書いてる。その日本を意識した部分はあります」

(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)

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