注目トピックスch

国内から海外まで、様々なジャンルで注目されているトピックをネットの声と共に紹介致します。

一発屋


<クマムシ>「あったかいんだからぁ」で大ブレークからの転落 コンビ仲に亀裂、収入ほぼゼロで「地獄の日々」
 お笑いコンビ「クマムシ」が、7月29日に公開された千原ジュニアさんのYouTubeチャンネルにゲスト出演。大ブレークから転落した10年間のコンビ活動を振り返った。
(出典:)


クマムシは、ワタナベエンターテインメントに所属する日本のお笑いコンビ。ワタナベコメディスクール12期生出身。 佐藤 大樹(さとう ひろき、 (1988-03-30) 1988年3月30日(36歳) - ) ツッコミ(ネタによってはボケ)担当。 身長177cm、体重61kg、血液型B型。 富山県下新川郡入善町出身。…
28キロバイト (3,235 語) - 2024年8月26日 (月) 16:20

(出典 www.jprime.jp)


続かなかったですね~

1 jinjin ★ :2024/10/14(月) 01:21:18.33 ID:1gkAML9Z9.net
紅白出場人気芸人がTVから消えた衝撃理由 「飽きちゃったんです…」月収800万円から激変人生振り返る


お笑いコンビ「クマムシ」の長谷川俊輔(38)と佐藤大樹(36)が13日配信のABEMA「ななにー 地下ABEMA」(日曜後8・00)に出演。
人生が激変した理由を語った。


この日は「まさかの転落…人生激変しちゃった人SP」と題し、人生転落を経験したという「クマムシ」の2人が登場。

「クマムシ」は2015年に「あったかいんだからぁ~」のネタで一世を風靡(ふうび)。
同年にCDデビューすると、各局の音楽番組に出演したほか、年末には日本レコード大賞特別賞。NHK紅白歌合戦にも出場した。


しかし順風満帆に見えた生活から一転、仕事が激減する。それは15年7月31日から猛暑日が1週間続くという当時の猛暑日最長記録を更新したことがきっかけ。

これが「クマムシ」の芸にも影響をもたらしたといい、長谷川は「夏を乗り越えられなかったんですよ。めちゃくちゃ関係あって、(夏の)野外ステージとかでも“あったかいとか言ってんじゃねーよ”みたいなヤジをとばされて…」と振り返る。

また代名詞“あったかいんだから~”を「1日に200回以上言ってたら飽きちゃったんですよ…」といい、全力の“あったかいんだから~”を披露しなくなるという天狗エピソードを語った。



さらに追い打ちをかけるように、とにかく明るい安村やピコ太郎が次々とブレーク。
コンビ仲も徐々に悪くなり、うまくいかずピーク時800万円あった月収も9万円に激減したそう。

そのため「(コンビ間が)どんどん険悪になっていって…一言も会話がなかった日もあって。だからやっぱりあの頃に“もっとネタはこうしよう”って密なコミュニケーションをとれてたらこんなことにはなってなかったのかも」と反省の弁を述べていた。



https://news.yahoo.co.jp/articles/017d8bcc3fe125380deb9507fc22fd667540a4d1

【【結局?】クマムシの「ある現状」に予想通りと言われる事態に】の続きを読む


大人気リズムネタ芸人 現在の意外すぎる副業「ファンサービスを重視していて」 その年収は
 お笑いコンビ「8.6秒バズーカー」はまやねん(33)が、21日放送の日本テレビ系「行列のできる相談所」(日曜後9・00)に出演し、近況と現在の副業について語った。
(出典:スポニチアネックス)


8.6秒バズーカー (はまやねんからのリダイレクト)
8.6秒バズーカー(ってんろくびょうバズーカー、英語: 8.6SecBAZOOKAA)、日本のお笑いコンビ。吉本興業東京本社所属。略して「ハチロク」とも言われる。2014年結成。NSC大阪校36期生。 はまやねん(1991年3月10日 - )(33歳) ボケ担当。 身長170cm、体重80kg、血液型A型。大阪成蹊大学出身。…
21キロバイト (2,379 語) - 2024年5月23日 (木) 10:34

(出典 i.daily.jp)


それなりにがんばっているんですね~

1 尺アジ ★ :2024/07/23(火) 21:23:17.04 ID:Os9nUV+I9.net
 お笑いコンビ「8.6秒バズーカー」のはまやねんさんが、7月21日放送の日本テレビ系のバラエティー番組「行列のできる相談所」に出演。現在はキッチンカーのオーナーで収入を得ていることを明かした。

 ナレーションで「2015年の大ブレイク以降、あまりテレビで見かけなくなった……」と紹介されたはまやねんさんは、2年前からキッチンカーを始めたという。

 4年ローン、400万円でキッチンカーを購入し、1個500円のカレーパンを販売。1日約700個売れていると明かした。

※続きは以下ソースをご確認下さい

2024年07月22日 14:23
MANTANWEB編集部

https://mantan-web.jp/article/20240722dog00m200025000c.html

【「そこまでいく?」はまやねんの「ある現状」に気になる部分が出てくることに】の続きを読む


新しい学校のリーダーズ(あたらしいがっこうのリーダーズ)は、日本4人組ダンスボーカルユニット、及びダンスパフォーマンスユニット。所属事務所はアソビシステム、TWIN PLANET、テレビ朝日ミュージック合同マネージメント。所属レーベルは88rising。海外では「ATARASHII GAKKO…
51キロバイト (4,998 語) - 2024年2月26日 (月) 20:00

(出典 media.gqjapan.jp)


一発屋になってしまうんですかね~

1 フォーエバー ★ :2024/02/18(日) 12:34:32.41 ID:u4na4DkI9.net
2/18(日) 11:02配信


(出典 newsatcl-pctr.c.yimg.jp)


AERA dot.
多忙な日々を送る。「楽しさもつらさも疲れも全部口に出して共有していったことが4人で肩を組んで走り抜けられた理由」だという(写真/蜷川実花)

“首振りダンス”で国内外に旋風を巻き起こした4人組ダンスボーカルユニット・新しい学校のリーダーズ。知られざる葛藤を語った。AERA 2024年2月19日号より。

【写真】蜷川実花が撮った!AERAの表紙を飾った新しい学校のリーダーズはこちら

*  *  *

――破竹の勢いで活躍した2023年。しかし、「裏では葛藤していた」と話す。

SUZUKA:結成してから多くの人に知ってもらうまでの7~8年で積み上げてきた私たちらしさを「守りたい」という気持ちと、「どんどん進化していきたい」という気持ちの間で葛藤していました。ひとりで考えこむと何が正解かわからなくなる。メンバーとスタッフとしっかり会話をしながら「今を生きよう」ということと「未来に向かっていこう」ということを確認し続けた1年でした。

MIZYU:4人ともグループに対する向上心が強いので、昔は練習を増やしたり、自ら忙しくしていました。でも昨年はライブが迫っているのにリハーサルの時間が十分に取れなかったり、以前とは違う忙しさになった。小さなことでも4人で話し合って、「すべては私たちの夢を叶えるためにやっている」ということを確認し、お互いを勇気づけていました。

■一人で抱え込まないで

KANON:4人でずっと会話をしている中で、楽しさもつらさも疲れも全部口に出して共有していったことが、4人で肩を組んで走り抜けられた理由です。

SUZUKA:誰か一人が抱え込んでしまっているグループもいるかもしれない。でもわしらは一人で抱え込むものではないと気づけたからこそ、武道館のステージでファンのみんなに「一人で抱え込まないで」と伝えられた。「葛藤してよかった!」と思いました。ファンのみんなとは「青春は楽しい」ということも共有しています。“青春党”の議員としてこの輪をどんどん社会に広げていきたいです!

RIN:学校を飛び越えて社会のリーダーになってるね(笑)。

――2024年初ライブとなった初の日本武道館公演「青春襲来」。SUZUKAが「迷ったっていい! 一人で答えを出さずに、私たちは4人で答えを出した!」と叫んだ後、4人は抱き合った。

RIN:武道館の前にも4人でたくさん話をする機会がありました。そこで「4人で答えを出していこうね」と改めて話して、「足並みを揃えていこう」という気持ちで指4本を合わせた写真を撮りました。その後、SUZUKAがステージであの発言をしたので思いが溢れてきてしまい、4人でハグしました。武道館は360度客席が見渡せるステージ。ハグしている4人を1万2千人のお客さんがハグしてくれているような気持ちになって嬉しかった。

https://news.yahoo.co.jp/articles/c200117156b0f21a258aa6f13f2ff80ea96514c7?page=1

【【このままだと?】新しい学校のリーダーズの「ある変化」に危機感を抱く事態に】の続きを読む


石川 浩司(いしかわ こうじ、1961年7月3日 - )は、日本のシンガーソングライター、空き缶収集家。東京農業大学第二高等学校卒業、和光大学中退。たま時代の通称はたまのランニング。 父は国家公務員(キャリア官僚)、母は上皇后美智子の学友という家庭に長男(他に弟が二人)として出生。生まれは東京だが…
20キロバイト (2,725 語) - 2023年7月4日 (火) 18:15

(出典 musicspot-satone.com)


この人の印象が強いですね~

1 湛然 ★ :2023/08/24(木) 06:16:16.58 ID:WDfcc9EB9.net
元たま・石川浩司「解散3日後にはヨーロッパツアーに行ってました」『さよなら人類』でNHK紅白出場のたま「解散の真相」
8/17(木) 7:32 双葉社 THE CHANGE
https://news.yahoo.co.jp/articles/fa9a6bc731ddd85a1fe6122e023c7ffc0a4ad2fe

(出典 newsatcl-pctr.c.yimg.jp)



◆いきなり忙しくなったので、とりあえず事務所に入った

(※中略)

「いきなりすごく忙しくなっちゃって、最初はレコード会社との契約とかそういうこともよく分からなかったので、とりあえず知り合いが所属している事務所に入ったんです。P.C.Mという『筋肉少女帯』とか『GO-BANG'S』とか『有頂天』とか、そういうバンドがいた事務所です。

 でも、契約期間の2年間所属したあと、もう独立して自分たちで有限会社を作っちゃって、そこからセルフマネージメントでやり始めたんですよ。当時ネットもなかったから、途中に悪意がなくても、伝言ゲームのように人を全員回っていくうちに、思っていたことと違う結果になることが多かったんです。
 たとえばCDのジャケットをこうしたいみたいなのがあっても、反映されなかったり……。“自分のしたいことだけをしたい”というのがメンバー間で共通してあったんですね」

 特殊な2年間を過ごしたあと、メンバーは徐々に元の生活に戻っていったという。

「僕らもあのとき10代だったら、そのまま大人に言われて変になってたかもしれないですけど、売れたとき年齢的には20代後半、もう30に近かったので、こんなのに浮かれるのはやめようと。最初からこれは一過性のものだから、今“わーっ”て言ってるけど、本来そういう音楽じゃないし、と、そこは結構メンバー内で確認し合っていました。

 “やりたくないことはあまりやらずにいこう”とか、“ここはちょっと妥協してやっとくか”という、そういうのもバランスをとりながら、“落ち着こう”というのを、常にメンバー同士で確認し合ってやっていたんです。

 『イカ天』に出る前にもみんな『たま』をやりながらソロもやってたし、他のユニットみたいなのもやっていた。それが元に戻ったような感じでやっていたら、だんだん『たま』よりも他のバンドとかが忙しくなって、メンバー同士のスケジュールが合わなくなっちゃったんですよ」

◆メンバー脱退、バンド解散

 メジャーデビュー5年目の1995年にキーボードの柳原幼一郎がソロ活動のために脱退、その後は知久寿焼、滝本晃司と3人で活動を続けた。

「もともと“商業的に売れよう”というのはなかったですが、売れたらお金が入るから他の仕事をしなくていいので、バイトもやめられたし、それはよかったんです。

 でも、セルフマネージメントだと、やっぱり宣伝とかあんまり積極的に動く人がいない。そうなると、テレビとかメディアとかもあんまり出なくなりますよね。普通はレコード会社とか事務所の人が、そういうところに“うちのバンドどうですか”みたいなのをプロモーションするんですけど、そういう人が誰もいなくて(笑)。メンバーも、“いいよ別に出たいわけじゃないから”って、逆にそっちの方がやりたいことだったという感じでしたね。

 当時は最終的に八王子に事務所とスタジオを持って、事務員とかも一応雇ってたんです。でも『たま』の仕事をあんまりやれなくなると経済的にはね、そういう人たちに給料も払わなくちゃいけないし、スタジオとか事務所の家賃とかもあるし、そういうのはちょっと厳しくなっていきましたね」

 2003年に「たま」は解散し、メンバーそれぞれの活動に入る。

「そうやって他のバンドの活動が忙しくなったってことがあって、『たま』は解散したんですけど、僕自身は解散した3日後くらいには『パスカルズ』のヨーロッパツアーに行ってしまったんで、解散の感傷に浸っている暇なんか全然なくて、常に次にやりたいことが忙しくてっていう感じでした。

 最初に抜けた柳原は、『たま』とは違うソロ活動をする覚悟があったから、けっこう頑としてその後もメンバーと絡むセッションとかライブはしてないんですけど、メンバー間の確執とかでは全然なくて、ベースの滝本とは8月にも一緒に2マンライブを京都で昼夜公演にやったりしますし、知久とは今も『パスカルズ』で一緒です」

(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)

【【どうしてる?】石川浩司さんの「例のバンド」に他のメンバーが気になってしまうことに】の続きを読む


小島 よしお(こじま よしお、1980年(昭和55年)11月16日 - )は、日本のお笑いタレント。本名及び旧芸名、小島 義雄(読み同じ)。サンミュージックプロダクション所属。欧米アジア語学センター 副校長。 身長178cm、体重70kg。血液型O型で左利き。ただしペンは右で持つ。…
58キロバイト (7,954 語) - 2023年5月7日 (日) 21:12

(出典 news-careerconection-image.s3.ap-northeast-1.amazonaws.com)


ラッスンとかラララライとかたくさんいますね~

1 フォーエバー ★ :2023/04/29(土) 23:55:20.11 ID:JTHlfd3Z9.net
2023年4月29日 12時10分スポーツ報知 # 芸能# 話題
小島よしおのインスタグラム(@kojimayoshiopiya)より

 お笑いタレントの小島よしおが29日までに自身のインスタグラムを更新し、「久しぶりの一発屋会!!」が開催されたことを報告した。

 居酒屋での集合ショットをアップ。参加したお笑いコンビ「ジョイマン」の池谷和志が自身のブログで詳細を明かした。「昨日は4年ぶりに一発屋会でした」と報告し、「ダンディ坂野さん、小島よしおさん、レイザーラモンHGさん、髭男爵さん、クールポコさん、ゆってぃさん、三瓶さん、レギュラーさん、ムーディ勝山さん、長州小力さん、デッカチャンさん、大西ライオンさん、クマムシ長谷川、ぼく」とメンバーを紹介した。

 「乾杯はルネッサーン!」だったそうで、髭男爵のネタで飲み会がスタート。「小力さんは1時間だけの参加と言っていて。その後に何があるんですか?と聞いたら、ビリヤードを教えてに行くとの事。だけど、1時間半くらいいて。みんなで行ったほうが良いですよね!無理やり行かしたんですが。まさかの2時間後くらいに戻ってきました。相当楽しかったんでしょうね」(原文ママ)と笑った。

 そして「クマムシこの中で一番芸歴が下で13年目。まだまだ若いですよね。次が僕らで21年目ですから。ここから全員20年越え」とベテランばかりが集まったと明かす。「長谷川が初参加でしたが終始楽しくて励みになりますと言ってました。僕も最初一発屋メンバーに呼んでいただいた時はすごい励みになりましたから」とかけがえのない仲間であることを強調。「終わりはダンディさんのゲッツ一本締め。本当最高時間でした」と振り返り、「一発屋会がある限り一発屋は生きてられると思います」と更なる飛躍を誓った。

 「一発屋会」の様子を見たフォロワーは「豪華」「楽しそうすぎる!!!」の声を寄せていた。

https://hochi.news/articles/20230429-OHT1T51071.html?page=1


(出典 hochi.news)

【【もうおもしろい?】小島よしおの「ある集まり」に呼んでほしい人がたくさん出ることに】の続きを読む

このページのトップヘ