注目トピックスch

国内から海外まで、様々なジャンルで注目されているトピックをネットの声と共に紹介致します。

プロレス


タイガージェットシン(Tiger Jeet Singh、本名:Jagjit Singh Hans、1944年4月3日 - )は、インド出身のカナダ国籍のプロレスラー、実業家。 パンジャーブ州ルディヤーナー生まれ。カナダ在住。スペリングの通り、より原音に近いリングネームの表記はタイガー
97キロバイト (14,506 語) - 2024年5月5日 (日) 04:08

(出典 sports-pctr.c.yimg.jp)


次は不沈艦ですかね~

1 征夷大将軍 ★ :2024/04/29(月) 07:50:18.20 ID:oBSEu1AO9.net
サンスポ
2024/04/29 05:00
https://www.sanspo.com/article/20240429-DTED7TGIFNMVXJRG6E44EXUNJE/?outputType=theme_fight

政府は29日付で春の叙勲受章者を発表した。最高位の桐花大綬章は大谷直人前最高裁長官(71)に授与。別枠の外国人叙勲で、悪役として日本のプロレス界で活躍した元プロレスラーのタイガー・ジェット・シン(本名・ジャグジット・シン・ハンス)さん(80)に旭日双光章が贈られる。俳優の加藤健一(74)には旭日小綬章が決定。受章者は桐花大綬章1人、旭日章984人、瑞宝章3123人で計4108人。

トレードマークのターバンを巻き、口にくわえていた凶器のサーベルを観客にすら容赦なく振り下ろす―。まさに「インドの狂虎」の異名を持つ悪役レスラーとして、1970年代のプロレス界を震撼させたシンさん。旭日双光章の知らせに「日本の全てのプロレスファンに与えられた栄誉だ」と喜んだ。

80歳になっても眼光の鋭さは変わらない。日本プロレス界で故アントニオ猪木さんの最大のライバルと言われる。新宿で買い物中の猪木さんと乱闘を起こした〝襲撃事件〟はあまりに有名だが、「猪木が一番強かった」と振り返る。試合後は数週間も打撃の痛みが残ったという。さまざまな因縁があったが「過去のことだ」と意に介さない。

「日本の良い思い出ばかり」と目を細める。現金や貴金属が入ったかばんをホテルに置き忘れ、何も盗まれずに戻ってきたことがあった。「一生忘れない。誠実な人たちだ」と語った。

一世を風靡したヒールも、リング外では実業家の顔を持ち、在住するカナダで慈善団体を運営。2011年の東日本大震災に心を痛め、福島県で自宅を失った児童らに義援金を送った。「日本は第二の故郷。日本人は家族のような存在だからね」。

外国人レスラーとしては、17年に覆面レスラー「ザ・デストロイヤー」として活躍したリチャード・ベイヤーさん、21年に「千の顔を持つ男」ミル・マスカラスさんが叙勲を受章している。

■タイガー・ジェット・シン(Tiger Jeet Singh) 本名・Jagjit Singh Hans。1944年4月3日生まれ、80歳。インド・パンジャーブ州出身。65年、カナダでプロレスデビュー。73年に初来日。買物途中だったアントニオ猪木を襲撃したり、猪木にアームブリーカーで右肘を脱臼させられるなどリング内外で事件も起こした。トレードマークはターバンとサーベル。得意技はコブラクロー。悪役ヒールとして活躍し、全日本プロレスやインディー団体、ハッスル、IGFと渡り歩いた。リング外では実業家として知られ、茨城県つくば市にカレーハウスを経営、カナダに自分の名前を冠した高校を開校するなどの事業を展開。

【【まさか?】タイガー・ジェット・シンさんの「ある栄誉」に意外な事実が判明することに】の続きを読む


天龍 源一郎(てんりゅう げんいちろう、1950年2月2日 - )は、日本の男性タレント、元プロレスラー、元大相撲力士。本名は嶋田 源一郎(しまだ げんいちろう)。福井県勝山市出身。身長189cm、体重120kg(力士時代は身長186cm、体重112kg)。血液型A型。所属事務所はMILLENNIUM…
128キロバイト (18,151 語) - 2024年3月3日 (日) 16:04

(出典 c799eb2b0cad47596bf7b1e050e83426.cdnext.stream.ne.jp)


すごかったですね~

1 朝一から閉店までφ ★ :2024/03/14(木) 08:18:29.26 ID:SC8eUxJr9.net
2024年3月11日 21:55

東スポWEB

 2015年11月15日に引退したミスタープロレスこと天龍源一郎(74)と〝不沈艦〟スタン・ハンセン(74)が東京・北沢タウンホールでサイン会&撮影会を行い、約150人のファンが詰めかけた。
 
 2人が公の場で対面するのは17年10月27日のトークショー以来で、実に7年ぶりの再会となった。何度かイベントが企画されたものの、
コロナウイルス禍や天龍の入院などもあって、2年前のイベントもオンライン対談となっていた。2人は壇上に上がりサイン会を行い、
スクリーンでは過去の2人の名勝負が流された。売店では新作の〝龍艦砲〟Tシャツなど多数のグッズが売られ、ファンが行列を作っていた。

 ハンセンは「久々に愛する日本のファンにまた会えてうれしい。何よりテンルーの元気な姿を見れたことは何よりの幸せだ」と笑顔で語り、
天龍も「スタンの顔を見て勇気づけられた。でも、久々というカンジはしないね。心からうれしいよ」と盟友で最大のライバルとの再会に勇気づけられたようだった。

https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/295085

【【当時は?】天龍源一郎さん「ある人」との再会に例の人も気になることに】の続きを読む


博多 大吉(はかた だいきち、1971年〈昭和46年〉3月10日 - )は、日本のお笑いタレント、司会者。お笑いコンビ博多華丸・大吉のツッコミ・ネタ作成担当。相方は博多華丸。吉本興業所属。 兵庫県神戸市出生、福岡県古賀市出身。芸人仲間から大吉先生と呼ばれている。2012年5月より古賀市のふるさと大使。…
29キロバイト (3,743 語) - 2024年2月4日 (日) 10:14

(出典 m-78.jp)


普通な感じですけどね~

1 湛然 ★ :2024/01/29(月) 06:23:05.46 ID:MWWXN/CX9.net
博多大吉 女性タレントを前に“ブチギレ”「ふざけんなよ」 豹変ぶりに松岡昌宏も驚き「ここまでは初」
[ 2024年1月28日 15:25 ] スポニチ
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2024/01/28/kiji/20240128s00041000354000c.html
「博多華丸・大吉」の博多大吉 Photo By スポニチ
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2024/01/28/jpeg/20240128s00041000353000p_view.webp
まつきりなインスタグラム(@matsuki_rina)から
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2024/01/28/jpeg/20240128s00041000357000p_view.webp
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2024/01/28/jpeg/20240128s00041000359000p_view.webp


 お笑いコンビ「博多華丸・大吉」の博多大吉(52)が27日深夜放送のテレビ東京「二軒目どうする?~ツマミのハナシ~」(土曜深夜0・55)に出演。女性タレントを前にブチギレる場面があった。

 この日、モデルからABEMAのプロレスでの解説まで幅広く活躍中のタレント・まつきりながゲスト出演。まつきに対して、プロレス好きを公言する大吉は「ぶっちゃけ、まつきさんを地上波ではあまり見ないよって方は多いかもしれない。私、ABEMAでめちゃめちゃ見るんですよ」と告白した。

 続けて「まつきさんがノアっていう団体の解説をよく務めていて。それは昔からやっていたで、と思うんですけど、WWEっていう世界で一番人気のある、10億人が見ている団体があるんですよ。何年かぶりに無料で見られると。ABEMAに出てるよね」と指摘。まつきが「うれしいです、まさか」と喜ぶと、大吉は「いやもう、ちょっと言ってやろうかな。ふざけんなよ、俺を出せよ!俺、出たいよ。それ見てますけどね」とブチギレた。

 「私、プロレスを見始めて2年目で。学んでる最中」とまつき。「初心者立ち位置でプロレスを学ぶっていうので、最近はゲスト解説のほうにおらしてもらって、純粋に楽しんでいるというか。全然知らなかったんですけど、ちょっと見に行った時に今まで格闘技とかスポーツとか見たことなかったから、正直、ハマらんやろう!と思ったら、結構(ハマった)」と話すと、大吉は「ざっくり言いますけど、まつきさんみたいな人が解説席にずっと座るようになったんですよ。ほんと私、多少知り合いなので、マジ次に会った時にキレたろうかなと思ったんですけど、お客さんよりもまつきさんにアピールする選手が増えてるんですよ。塩崎(豪)なんか花、渡したりとか。(中嶋)勝彦がこんな前の前でしたりとか」と選手の対応にも不満をもらした。

 さらに「使わなくていいけど、マジで言いたかったこと、いい?マジでホントやから」とヒートアップ。「(まつきが)選手が来た時に写メ撮るじゃん?やってもいいけど、あそこだけ映さないで。試合中に中継で映ったらめっちゃ冷めるから。ほんとマジで。誰も得してないよ。ノアもまつきさんも選手も誰も得してない。何を毎回、毎回、毎試合、毎試合…選手が行って。誰が喜ぶんか、あんな映像。ABEMA呼べ、俺を!バカタレ!全部教えてやる。わかってないのよ」と声を荒げた。

(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)

【【そこまで?】博多大吉先生の「ある絡み」にそうでもないと感じることに】の続きを読む


赤井 沙希(あかい さき、1987年(昭和62年)1月24日 - )は、日本の女性ファッションモデル、タレント、グラビアモデル、女優、元プロレスラー。血液型A型。大阪府生まれ、京都府育ち。父は俳優で元プロボクサーの赤井英和。 愛称は「ちゃきたん」、「さっちん」、「お嬢」、「ジャンボ」、「環七(かん…
104キロバイト (15,506 語) - 2023年11月19日 (日) 04:20

(出典 encount.press)


この反応はどうですかね~

1 征夷大将軍 ★ :2023/11/13(月) 07:21:03.47 ID:pfPN4kB/9.net
日刊スポーツ
https://www.nikkansports.com/battle/news/202311120001676.html
<DDTプロレス>◇12日◇両国国技館
2023年11月12日22時47分

赤井沙希(36)が、13年8月にデビューした地でラストマッチに臨み、10年間のプロレスラー人生を終えた。現在もKO-D6人タッグ王座を保持するEruptionの坂口征夫、岡谷英樹と最後のリングに上がるも、東京女子・山下実優の強烈な蹴りにリングに沈んだ。

試合後にはセレモニーが行われ「どうしても伝えたいことを届けたかった」と、用意していた手紙を読み始めた。「10年前に一員になって楽しかったり、ムカついたり、一緒に何かをしたり。自分が一番欲しかったものに気付いた気がした。心から愛してます」とファンと仲間に感謝の思いを伝えた。

「最後まで強い姿でいたい」と話していた。丸藤からは何度も逆水平を浴び、山下からは強烈な蹴りを食らい、樋口には抱え上げられ、リングにたたきつけられた。何度攻撃を受けても立ち上がり「赤井コール」に応えたが、最後は力尽きた。

5月の引退会見後、休むことなく引退ロードを駆け抜けた。9月には団体最高峰のKO-D無差別級のベルトに初挑戦。史上2人目の女子王者誕生とはならなかったが、王者クリスをあと1歩まで追い詰めた。

戦友たちからエールももらった。10月23日の東京女子では、所属選手全員を相手に「23人斬り」で勝利。3日新宿大会では「たぶん一番試合してくださった」という平田一喜と最後のシングルマッチ。試合終盤には、平田だけでなく、ぶつかり合ってきた仲間たちから手紙で思いを伝えられるサプライズもあった。

元ボクサーで俳優の赤井英和を父に持つことでも注目された。10代からモデル、タレントとして活躍。13年からプロレスラーとして本格デビューした。14年には女子選手として初の「プロレス大賞新人賞」に輝いた。「強くて楽しいところが好き」というDDT唯一の女子レスラー。長身を生かしたダイビング・ボディアタックやビッグブーツなどで男子レスラーと互角に渡り合った。

「ここまでの道のりを考えれば達成感がある」と言い切った。今後はDDTを裏方として支えていくという。DDT高木社長のオファーに「みんなを輝かせる側に回らせて下さい」と応えた。5月の引退会見では「枯れて朽ちていく花ではなく、美しいまま散る花でいたい」。10年間リングに魂を注入し続けた赤井は、その言葉通り、最後のリングで美しく華麗に舞い、プロレスラー人生の幕を閉じた。【松熊洋介】

※以下リンク先で

【【せめて?】赤井沙希さんの「ある節目」に悲しい出来事が起きる事態に】の続きを読む


スタンハンセン(Stan Hansen、本名:John Stanley Hansen II、1949年8月29日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。テキサス州ノックスシティ出身。デンマーク系アメリカ人。 日本で最も成功したといわれる外国人レスラーの1人。第32代AWA世界ヘビー級王者。第2…
99キロバイト (14,435 語) - 2023年6月6日 (火) 18:44

(出典 wanibooks-newscrunch.com)


スター選手多かったですね~

1 朝一から閉店までφ ★ :2023/06/12(月) 18:52:39.13 ID:j/5s0A2p9.net
2023-06-12
スタン・ハンセンが京都でトークショー「新日本から全日本に移ったが、それは猪木が嫌いだからとか恨みがあったわけじゃない。あくまでビジネスとして移籍しただけ」【週刊プロレス】

週刊プロレス編集部

6月11日、JR京都駅近くのイオンモールKYOTOで「スーパースター プロレストークバトル」が開催された。

Sareee、中西学に続いて第3部に登場したのがスタン・ハンセン。金髪もすっかりグレーに変わって年齢を感じさせた“不沈艦”だが、ファンにすれば、あこがれのレスラーであることは変わらない。
会場に「サンライズ」の曲が流れると、集まった約200人のファンから自然発生的に「ハンセン」コールがわき起こる。ハンセンもロングホーンを突き上げてそれに応えた。

やはりまず聞きたかったのは、昨年10月1日に亡くなられたアントニオ猪木のこと。

「アメリカにいる時にその知らせを聞いた。とてもショックを受けた。私だけでなく、アメリカのプロレス界も大きなショック、悲しみに包まれた。
一番最初はニュースで見たと思う。アメリカでも大きく報じられたからね。そのあと、日本の記者から連絡があった。ミスター・イノキはジャイアント・ババと並ぶ歴史的なトップレスラーだったし、私がニュージャパンで活躍する機会を与えてくれた。
ニュージャパンからオールジャパンに移ったが、それはイノキが嫌いだからとか恨みがあったわけじゃない。あくまでビジネスとして移籍しただけだ。イノキと同じ飛行機で日本に来たこともあったよ」

猪木との試合に関しては「あまりにも多く闘ったし、どの試合が一番印象に残ってるかなんて言えないよ。とにかくイノキとの試合は一瞬たりとも気が抜けなかった。
ちょっとでもスキを見せたら攻撃してくる。毎試合、それまでと違った動き、それも私が思いつかないような動きでね」と振り返った。

猪木、馬場、そしてジャンボ鶴田、天龍源一郎、長州力、藤波辰巳(辰爾)、さらには三沢光晴、川田利明、小橋建太と、世代を超えトップクラスと闘い続けたハンセン。「ライバルと言われても1人には絞れない。
その時その時に異なる一番のライバルがいた。それが時にはイノキだったし、時にはババだった。ジャンボの時期もあったし、テンルー(天龍)、チョーシュー(長州)の時期もあった。フジナミの時期もね。
さらにはミサワ、カワダ、コバシだったりね。とにかく大勢の素晴らしいレスラーと闘う機会に恵まれていた」と語ったが、その中で藤波がまだ現役を続けていることに関しては、「ぜひとも頑張ってほしい」とエールを送っていた。

一方、多くのレスラーとタッグを組んできたが、「間違いなくブルーザー・ブロディがベストパートナーだ」と語ったハンセン。「彼には『現地の食事に慣れろ』と言われた。
その言葉通り、日本に来たらスシやソバ、ヤキニクなどを食べるようにした。それによって日本食が好きになったし、日本も好きになった」
 
その後、会場に集まったファンからの質問コーナーに。
https://www.bbm-japan.com/article/detail/42862?page=1

【【全盛期?】スタン・ハンセンさんの「ある昔話」に当時の豪華さを思い返すことに】の続きを読む

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