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タモリ倶楽部


タモリ(1945年〈昭和20年〉8月22日 - )は、日本のお笑いタレント、テレビ司会者。福岡県福岡市南区市崎出身。田辺エージェンシー所属。ビートたけし、明石家さんまと共に、日本の「お笑いBIG3」の一角を担う。本名は森田 一義(もりた かずよし)。 1982年から2014年まで『森田一義アワー 笑っていいとも…
147キロバイト (20,138 語) - 2022年12月24日 (土) 19:39
いい具合のテレビ番組が長く見れますね~

1 フォーエバー ★ :2022/12/19(月) 17:05:06.63 ID:TJYRbgkt9.net
12/19(月) 11:01配信

デイリー新潮
タモリ

 1982年10月にテレビ朝日の深夜番組「タモリ倶楽部」が始まってから、40年が過ぎた。同じ月に始まり、やはりタモリ(77)がメインだったフジテレビ「笑っていいとも!」も32年続いた。「ミュージックステーション」(テレ朝)のMCに就いてからは35年、「ブラタモリ」(NHK)は開始から14年が過ぎた。なぜ、タモリの番組は長寿化するのか? 

【写真】「Mステ」楽屋でまったりと…普段は見られない「タモリ」貴重ショット集

タモリには欲が一切ない
「タモリさんと付き合った人なら誰でも同じことを言うでしょうが、彼には欲というものが一切ない。お金についてだけでなく、仕事面もそう。任された仕事はきっちりやってくれるものの、自分を売り込むようなことは決してしない」

 そう語っていたのは「タモリ倶楽部」の生みの親でテレビ朝日の元取締役制作局長である故・皇達也氏だ。

「タモリ倶楽部」もタモリ側の働きかけで生まれたわけではない。タモリにとってテレ朝での初レギュラー番組「夕刊タモリ! こちらデス」が同局の強い要請で1981年に始まったものの、編成上の?キ合で、たった1年間で終わってしまったことが理由だった。

「申し訳ないと思い、タモリさんに『代わりの番組をつくるまで、しばらく深夜で遊んでいてくれないか』と頼みました。それが『タモリ倶楽部』でした」(皇達也氏)

 当時はバブル前夜で世間は活気に溢れていた。バラエティ番組も「欽ドン! 良い子悪い子普通の子」(フジ)のような底抜けに明るいものが人気を博していた。だが、「タモリ倶楽部」はタモリのキャラクターと同じく、思いっきり力が抜けており、異色の番組だった。

 ほかの番組が必死になってトレンドを追い掛ける中、「廃盤アワー」「懐シネマ」の各コーナーは忘れられた名盤や名画にスポットライトを当てた。マニアしか知らないような作品を紹介した。

 1992年に始まり、現在も放送されている「空耳アワー」のコーナーもやっぱり脱力感に満ちていた。洋楽であるものの、日本語のように聞こえる歌詞の一部(空耳)を視聴者から募った。

 その中の一部をタモリとイラストレイターの安斎肇氏(68)が紹介するのだが、良い投稿があると2人もキャッキャッと喜んだ。まるで洋楽好きの中高生。ほかのバラエティと違い、爆笑を誘うことはないものの、クセになる面白さがあり、大勢のファンを獲得する。

 その後も「相撲」や「鉄道」などほかのバラエティが取り上げそうにない題材をコーナー化した。みんなタモリが好きなモノ。皇氏の言葉通り「タモリ倶楽部」はタモリが遊ぶ番組になった。これなら長く続く。

https://news.yahoo.co.jp/articles/e20a643b7e0d8448b6885887216d67fc8de4928f

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タモリ(1945年〈昭和20年〉8月22日 - )は、日本のお笑いタレント、テレビ司会者。福岡県福岡市南区市崎出身。田辺エージェンシー所属。ビートたけし、明石家さんまと共に、日本の「お笑いBIG3」の一角を担う。本名は森田 一義(もりた かずよし)。 1982年から2014年まで『森田一義アワー 笑っていいとも…
145キロバイト (19,770 語) - 2022年9月19日 (月) 07:06
さすがですね~

1 朝一から閉店までφ ★ :2022/10/04(火) 21:50:44.12 ID:CAP_USER9.net
てれびのスキマライター。テレビっ子
10/4(火) 17:00

今から40年前の1982年10月4日、その後、約31年半にわたり日本の昼を彩った『笑っていいとも!』(フジテレビ)がスタートした。そのわずか4日後の10月8日深夜、現在も続く深夜の超長寿番組『タモリ倶楽部』(テレビ朝日)も開始した(本日、同番組では珍しく『タモリ倶楽部 ユーミン初登場で空耳やっちゃいましたSP』と題した特番も放送される)。






1982年のタモリ

1982年は、タモリにとって極めて重要なターニングポイントになった年だといえるだろう。
拙著『タモリ学』文庫版(文庫ぎんが堂)に収録した「大タモリ年表」の中から、1982年の項を引いてもその充実っぷりがうかがえる。

1982年(37歳)

▼1月1日、『元旦早々タモリで最高!』(TBS)放送。ビートたけし、竹下景子、大空真弓らが共演。

▼1月2日、『今夜は最高!』で女性パートナーに吉永小百合を迎え正月スペシャル。男性ゲストは沢田研二。スケッチでは眠れる美女(吉永)と王子(タモリ)、吸血鬼(沢田)を演じた。翌週の男性ゲストは野坂昭如。どちらが吉永小百合をより好きかで競っていた。タモリは憧れの吉永小百合とデュエット。

▼1月、「BRUTUS」2月1日号で吉行淳之介と対談(『吉行淳之介エッセイ・コレクション4 トーク』[筑摩書房]に収録)、日本航空の機関誌「Winds」で深田祐介と対談(『男のホンネ』[三笠書房]に収録)。

▼1月21日、『タモリスペシャル 今夜ときめきスペース』(テレビ朝日)放送。

▼1月23日、映画『水のないプール』公開。若松孝二監督、内田裕也主演。タモリはカメラ店主役で出演。

▼1月30日、『今夜は最高!』のゲストにトニー谷が登場。その後タモリはヴォードヴィリアンを継ぐ存在と見込まれたからか、晩年のトニー谷にかわいがられていた。「あの人の晩年のほとんど仕事をしていなかった時期に、俺、可愛がってもらったの。それで、あの人と何回か会って言われたことは、『ボードビリアンってのは音楽だよ。音楽わかんないと、ボードビリアンはできない』って」。なお、タモリとトニー谷の類似性については小林信彦も『日本の喜劇人』の中で指摘している。ちなみにトニー谷は赤塚不二夫のマンガキャラ「イヤミ」のモデルでもある。

▼2月、ガブリエル・ウッシー(本名・内堀尚)著『ぼくはタモリの運転手』(ライフ社)刊行。序文はタモリ。

▼2月11日、『ミュージックフェア』(フジテレビ)出演。タモリはデューク・エイセスをコーラスに従えて歌い、トランペットを演奏。

▼2月12日、「GORO」3月25日号で糸井重里と対談(『話せばわかるか 糸井重里対談集』[飛鳥新社]に収録)。急速に世間から自分が受け入れられつつある状況に自ら「おかしいと思うよ」と語り、この頃から既に「国民のオモチャ」を自称している。

▼2月20日、『今夜は最高!』のゲストに、デタラメ外国語の元祖ともいえる藤村有弘。「デタラメ外国語の応酬がアドリブでできる人は初めて」と藤村に喜ばれる。ちなみにタモリの中国語芸のイントネーションは中国・海南島のそれに近いという。

▼3月、書籍『現代用語事典 ブリタモリ』(講談社)刊行。赤塚不二夫、加藤芳一、長谷邦夫との共著。

▼3月、「新潮45+」創刊号で井上ひさしと「吉里吉里語VSハナモゲラ語」対談。

https://news.yahoo.co.jp/byline/tvnosukima/20221004-00318057

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1日に「ブラタモリ」が放送されました。

番組では「タモリ俱楽部」で登場するTシャツを持参した学芸員さんが登場しましたが、ネットでは"ある疑問の声"が続出しているようです。

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