【都26人感染 12人は同店ホスト】https://t.co/piwVE48wqQ
— Yahoo!ニュース (@YahooNewsTopics) June 6, 2020
東京都は6日、感染者26人を確認。接待を伴う飲食店などで感染したとみられる「夜の街」関連は16人で、同じ店のホスト12人を含んでいるという。西村担当相は、東京の「夜の街」感染増に危機感を示した。
これに対し、ネットではどのような声が挙がっているのでしょうか?
みにゅ
@mnnoffline
東京都で26人が感染 うち12人は同じ店のホスト:朝日新聞デジタル https://t.co/CzxN59MdHY #新型コロナウイルス これは草
鈴木秀明
@hideakiszk
まあ、どうぞそういう世界で自由に感染してクダサイ東京都で26人が感染 うち12人は同じ店のホスト #ldnews https://t.co/U5fv1EXV2Y
神田勘右衛門
@a6SF2Yutbu6IEwI
クソガキども!同じ店のホスト12人が新型コロナ感染 東京都 https://t.co/O1GldeXbix @sharenewsjapan1より
SyuSyu ( 5人を見守り隊 )
@YC_Hanna
店名を公表してほしい。東京都で26人が感染 うち12人は同じ店のホスト [新型コロナウイルス]:朝日新聞デジタル https://t.co/4RvP5Y1BbW
元派遣社員のうさぎたん@人生第2章
@tusagitan
これって絶対に氷山の一角だと思う。コロナってバレたら、店が営業できなくなるから絶対に隠すだろ。東京都で26人が感染 うち12人は同じ店のホストhttps://t.co/GecqeSLbrh
元祖チコちゃん #BlackLivesMatter
@chico_barbon
“この店は新宿エリアにあり、従業員に感染が疑われる症状が出て以降、無症状の従業員もあわせて積極的に検査しており、客にも連絡をとっているという。”ホストの感染が多いということは、次は女性客の感染確認が増えるのだろうか。
sofia1103
@sofiagram1103
店舗と行った客公表したらいいのに。勿論自腹にしてほしい→東京都で26人が感染 うち12人は同じ店のホスト [新型コロナウイルス]:朝日新聞デジタル https://t.co/fB3NlQk5Z7
☆あやうぇぶ☆
@ayawave88
感染したホストやお客さんには免疫がついているからワクチンを接種したのと同じで、他のお客さんに感染させることがありません。「感染者が出ていない店より、安全性が高い」ということになります。マスク付けてたら大丈夫。ってなツイートがあってこわー😱
大洗のシマちゃん
@oarai_shimachan
キャバクラだろうがホストだろうが、しっかりクソコロナ対策してるお店は同乗者、応援してます。一方でろくな対策せずに売上優先でクラスターだしてる店は下の下。近寄らないようにしましょう!
す匠(虹鱒は外来魚)
@syakubo02
先だって、ホストが「今度、自粛規制したら、都内のホストがデモを起こす」と、記者に言ってたのん。テメェらで感染拡大させてるこの結末、どうしてくれるんだ? 東京都で26人が感染 うち12人は同じ店のホスト(朝日新聞デジタル) https://t.co/eD78AlY1a0
東京都で26人が感染 うち12人は同じ店のホスト [新型コロナウイルス] - 朝日新聞デジタル 東京都で26人が感染 うち12人は同じ店のホスト [新型コロナウイルス] 朝日新聞デジタル (出典:朝日新聞デジタル) |
ホストクラブは、男性従業員(ホスト)が女性客の隣に座って接待をする日本の飲酒店。 料金はフリータイム制でキャバクラのような時間制限はない(混雑時や待ちがある場合はフリータイム制でも帰される場合がある)。多くのホストクラブは永久指名制を採用しているが、中には指名変更可能な店もある。 初回の来店客には、年齢確認のため入り口で身分証の提示が求められる。レディースクラブと称している店もある。 東京にホストクラブが誕生したのは1965年に東京駅八重洲口前でオープンしたナイト東京である。前身は「京の花」というグランドキャバレーであったが経営に行き詰まり、大量のダンス講師を雇いその広大なフロアをいかした女性のためのダンスホールとして生まれ変わる。ダンスホールには休憩のためにソファーが置かれたサロンスペースがあり、講師にチップを払うことで一緒に酒を飲むことができた。東京オリンピック(1964年)後の不景気ではあったものの時は高度経済成長の真っ只中、テレビ、冷蔵庫、洗濯機は『三種の神器』として持てはやされ、また経済的にゆとりのある主婦は暇と金を持て余していた。『流行のダンスを踊りたいけれど、主人は仕事で忙しく無理だし、一緒に踊ってくれる相手が欲しいわ』。このような主婦のニーズが見事にマッチしたことや、東京駅前という場所柄もあり、財界人の妻、旅館の女将といった地方客から際立って高い需要を得る。しかし創成期のホストクラブは女性客が楽しむための場所という面を重視したが故に、ホストの収入・待遇はダンス講師時のまま、時給などの保証給はなく、指名料、チップ、ヘルプからのバックのみ、更に客からはダンスを始め、容姿やタレント性をも重要視されるようになってしまう、これらによって生存競争は著しく激しいものとなり、ホストで生計を立て存続出来得るのはごく限られた少数の者のみであった。 また、都内にホストクラブが5軒程しか存在しなかった1967年には歌舞伎町の風林会館地下に「ロイヤル」がオープン、翌1968年に同店でホストのキャリアをスタートさせることとなった28歳の愛田武は基本給が存在せず、当時の金額で賃金体系がヘルプ5千円、バック5百円、また週の初めには場代2千円を店側へ支払うことができなければ解雇という、当時は当たり前であったホストクラブの掟に困惑しながらも奮起、紆余曲折を経て「ナイト東京」での勤務を最後に1971年には独立し「クラブ愛」をオープン、こうして彼はホストクラブという形態を職業として確立させ今日のホストクラブの礎を築いた[3]。 |
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