注目トピックスch

国内から海外まで、様々なジャンルで注目されているトピックをネットの声と共に紹介致します。


SUGIZO、LUNA SEA東京ドームライブリハの合間に「ホッとひと息」自撮りショット
 ロックバンドLUNA SEAのギタリストSUGIZO(55)が17日までに、インスタグラムを更新。23日に東京ドームで開催されるライブのリハーサル…
(出典:)


LUNA SEAのサムネイル
LUNA SEA(ルナシー)は、日本の5人組ロックバンド。1989年結成。1992年にメジャーデビューし、2000年に終幕(解散)を宣言し一度解散したが、2010年に活動を再開した。 RYUICHIのみ神奈川県大和市出身、残りの4人は全員神奈川県秦野市出身。 2003年にHMVが発表した「Top 100…
152キロバイト (12,371 語) - 2025年2月18日 (火) 02:54

(出典 img.imageimg.net)


こうなると今なら中止ですよね~

1 冬月記者 ★ :2025/02/07(金) 19:54:10.03 ID:6h+Ooj1p9.net
https://news.yahoo.co.jp/articles/9c1278dd13f2455fbe3d2943e17cb2a33ac9c44f


(出典 i.imgur.com)



LUNA SEA セット崩壊で「廃虚をセットに」伝説10万人ライブ「今でも鳥肌」「あの景色があまりにも感動的で」とメンバー

 ロックバンド「LUNA SEA」が2日、テレビ朝日で放送された「EIGHT-JAM」ににVTRで出演。1999年5月30日に東京・有明で行った10万人動員ライブについて振り返った。

 会場となった東京ビッグサイト駐車場(※当時)は埋め立て地のため、もともと海風が吹き荒れる場所。

 さらに本番3日前の27日には、強風でほぼ完成していたセットが倒壊。突風にあおられ、高さ30メートルのスピーカータワーが倒れ、4億円のオーロラビジョン1台が壊れるなどセットが崩壊した。

 総勢約300人のスタッフが懸命に作業し、復旧のため約5億円をかけ、ステージを設営。ステージ後方には、崩壊したセットがむきだしのまま、廃虚のように残ったまま、決行された。

 SUGIZOは「本当は莫大な資金をかけて、おそらく音楽シーンの中では最もスペクタクルなショーになるはずだった。マッピングとか、映像をものすごい使った、コンセプト的には当時としてはとっても新しいものになるはずだった。それが全部ダメになって。崩壊したセットを撤収することもできなくて。結果的に10万人を相手に丸裸な、廃虚をセットに、ネイキッドなLUNA SEAを(見せることになった)」と明かした。

 「ありがたかったのは、そんな状況でもファンのみんなが駆け付けてくれた。(思い出すと)今でも鳥肌が立ちます」というJの言葉にメンバーはうなずき、

 SUGIZOは「あの時、僕ら5人が同じヘリに乗って、約10万人の観客が待っていて…。あの景色があまりにも感動的で」とメンバー5人が同じヘリコプターに乗り、上空からサプライズ登場したオープニングを振り返り、

 「(高所恐怖症の)真矢くん以外」と笑わせ、「本当に感謝しかなかったです」と話した。

【【さすがに?】LUNA SEAの「あるライブ」に今では実現できないと言われることに】の続きを読む


酒井法子 森田健作らが誕生日を〝先祝い〟「これからも森田さんのチームで頑張っていきたい」
 歌手の酒井法子が番組パートナーを務めるFM NACK5「森田健作 青春もぎたて朝一番!」の収録が4日、東京・有楽町のスタジオで行われ、俳優の森田健…
(出典:)


酒井法子のサムネイル
酒井 法子(さかい のりこ、1971年〈昭和46年〉2月14日 - )は、日本の歌手、女優。個人事務所「株式会社スマイル」所属。愛称はのりピー。堀越高等学校卒業。キャッチコピーは「おキャンなレディ」。生年月日は平子理沙と同じ。 1986年(昭和61年)にアイドル歌手としてデビュー後、自らを「のりピ…
102キロバイト (11,803 語) - 2025年1月24日 (金) 20:25

(出典 pds.exblog.jp)


いろいろありましたからね~

1 おっさん友の会 ★ :2025/02/07(金) 15:33:35.18 ID:02htwlCP9.net
2025/02/06 デイリースポーツ
https://nordot.app/1259962819026666431?c=768367547562557440

 歌手、女優の酒井法子(53)が5日、都内で、デビュー38周年記念ライブ「酒井法子 カルペディエム」を開催した。

 世界的に著名なベリーダンサー・中村インディアさんの演出で、エキゾチックな雰囲気のステージを展開。その中で、自身の歴史を振り返るように、デビューした1987年のヒット曲「ノ・レ・な・いTeen-age」や、代表曲「碧いうさぎ」「鏡のドレス」などを披露した。

 ファッションにもこだわりを見せ、この日はゴージャスなドレスからラフなTシャツまで3種類の衣装を披露。
中でも、ひざ上20センチほどの超ミニスカ衣装はファンの度肝を抜いた。酒井も照れ笑いしながら
「スカート短すぎ?大丈夫?」と呼びかけ、「みんなの前だからだよ。普段はこんなの履かないから、安心して」と笑いを誘った。

【【何かと?】酒井法子さんの「ある姿」にどうしても気になることがある事態に】の続きを読む


芸人・川西賢志郎、M-1で戦い続けたあの頃「本当は勝敗をつけることと、お笑いは矛盾していると思う」
…「和牛」として漫才に向き合ってきた芸人・川西賢志郎。漫才コンビを解散し、漫才師として歩んできた“これまで”と、芸人としての“これから”を綴るエッセイ『はじまりと…
(出典:)


川西賢志郎のサムネイル
川西 賢志郎(かわにし けんしろう、1984年(昭和59年)1月29日 - )は、日本のお笑いタレントである。大阪府東大阪市出身。吉本興業所属。2024年3月に解散したお笑いコンビ『和牛』のツッコミを担当していた(相方は水田信二、立ち位置は右)。 身長170cm、体重63kg。血液型はO型。東大阪市…
9キロバイト (967 語) - 2025年2月13日 (木) 10:55

(出典 oggi.jp)


あそこが分岐点だったのかもですね~

1 湛然 ★ :2025/02/07(金) 06:49:25.72 ID:40CexHo09.net
川西賢志郎、漫才師を辞め新たな人生への思いを1冊に「すべて吐き出して次に進みたい」
2/6(木) 20:05 エンタメNEXT
https://news.yahoo.co.jp/articles/7479f459113d81bcad6e7160182817d9c233b82e
川西賢志郎 撮影/松山勇樹 ヘアメイク/山内マサヒロ スタイリング/神山トモヒロ

(出典 newsatcl-pctr.c.yimg.jp)



「和牛」として漫才に向き合ってきた芸人・川西賢志郎。漫才コンビを解散し、漫才師として歩んできた“これまで”と、芸人としての“これから”を綴るエッセイ『はじまりと おわりと はじまりと ―まだ見ぬままになった弟子へ―』を上梓する。刊行に伴いインタビューを実施し、著書への思い、そしてこれからの活動について話を聞いた。(前後編の前編)

──漫才とずっと向き合ってきたキャリアだと思うのですが、辞めてからの心境で変化はありませんでしたか?

それはないですね。そこに至るまでに、しっかり自分と対話してきましたから。一個一個の選択を、「お前これでいいんか」と、自問自答しながら歩んできたので。こんな言い方をしたら、漫才師として応援してくれてた人のなかには寂しく思われるような方もいるかもしれませんが、後悔とか未練とかは一切ないんですよね。

──となると、基本的には漫才師をもう一度やることは考えていないですか?

そうですね。僕自身、解散を決めるまでのある程度の期間、いつ最後の舞台になっても悔いは残さない覚悟でやっていたし、週刊誌の記事によって本当に急に最後の舞台になりましたが、悔いはないです。

──漫才師ではなくなったいま、漫才をやるために舞台に立つこともなくなったと思いますが、何かご自身に変化はありますか?

昼食がヘルシーになりました(笑)。劇場へ行くとお昼はカレーとかラーメンとか中華ばっかりでしたけど、それがなくなりましたね。久しぶりに会ったスタイリストさんに「顔がスッキリしましたね」と。添加物とか余計な塩分が抜けたせいかもしれませんが、今聞かれて一番に思いついた変化はそれです。

──現在は俳優業にも挑戦されていると思います。今まで挑戦してきたこととの違いや難しさはありますか?

もちろんありますね。環境や共演者や求められることは違います。それでも、あくまでも自分がその場所に行く心持ちは、それまでの延長線上でしかないなと思っています。僕は漫才をやっているときから細かい所作で感情表現するということに人一倍こだわってきたと思っていますし、だから、コントにしろドラマにしろ感情の表現を考える作業は同じで、ひとつづきなんです。それが作品にどこまで貢献できているかは、僕にはわかりませんが。

──今後の川西さんの活躍の場所はどこになるのでしょうか?

僕は俳優業を切り分けていないし、今までの延長線上でやっています。肩書とか誰になろうとかそういうことじゃないんです。3月にライブをやります。解散することが決まってから、本を出すことと、一人でライブをやることは決めていました。なので、ようやく自分の中でいったん完結するような思いであり、それからのことはその後考えようと思っています。

コンビを解散し、漫才師を辞めるとなったとき

──今回、本を書こうと思ったきっかけを教えて下さい。

コンビを解散し、漫才師を辞めるとなったときに、自分が何を経験してどんなことを考えたかということをすべて吐き出して次に進みたいなと思いました。何がいいかと考えたとき、本が形にも残るし、いいかなと思いました。

──本を残そうと決め、すぐにKADOKAWAさんから出版という話になっていったんでしょうか?

そもそもお話をいただいて書いた本じゃなくて、僕が本にしようと思って勝手に書き始めて、どこで出版するのかもわからないまま7割ぐらい書いていました。そこで、僕はKADOKAWAさんの『ダ・ヴィンチ』という雑誌でずっと連載をさせていただいていたので、そのときの編集長に見てくださいと見せたんですよ。その方はもうKADOKAWAを辞めていたので、後任の方に引き継いでくださって、出版に至りました。

(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)

【【もしも?】川西賢志郎さんの「ある思い」に今ももったいなさを感じることに】の続きを読む

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