注目トピックスch

国内から海外まで、様々なジャンルで注目されているトピックをネットの声と共に紹介致します。


神田 愛花(かんだ あいか、1980年〈昭和55年〉5月29日 - )は、日本のフリーアナウンサー。 セント・フォース所属。元NHKアナウンサー。身長156cm。本名:日村 愛花(ひむら あいか、旧姓:神田)。夫はお笑いコンビバナナマンの日村勇紀。 大妻中学校・高等学校、学習院大学理学部数学科卒業。中学・高校時代には生徒会長を務めた。…
22キロバイト (2,685 語) - 2024年5月17日 (金) 21:33

(出典 www.lmaga.jp)


やってしまいますね~

1 ネギうどん ★ :2024/05/25(土) 12:12:43.65 ID:qyUtvuv39.net
「やめないよ。これだけはやめないんだから」

 フリーアナ・神田愛花がスーパーマーケットで絶対に譲れないこだわりがあると明かし、視聴者をドン引きさせている。5月20日放送「ぽかぽか」(フジテレビ系)でのやりとりだ。

 女優・江口ともみをゲストに招いたこの日の放送では、スーパーに陳列された乳製品などの食料品を選ぶ際、「手前から取っているか」という話題に。江口は消費期限を守ることを心掛け、手前から商品を取るようにしていると話した。お笑いタレント・横澤夏子も「(奥の商品を)取っちゃう時があるけど、(期限内に)消費できると思ったら手前から取らないといけないのよ」と述べ、やはり“手前取り”に協力的な姿勢を示した。

 ところが神田は、2人とは正反対の反応を示したのだ。

 神田は割引シールが貼られている場合を除き手前の商品は選ばず、ほぼ奥から取ってしまうと告白。番組MCのハライチの澤部佑から「よく思わない人もいるから、今後はやめてください」と注意を受けても、「やめないよ。これだけはやめないんだから」と譲らなかった。

 澤部は「やめないのをテレビで言う? 即ネットニュース行きです」と呆れ、相方・岩井勇気も「凄い良い人ですけど、ここだけは…」と苦笑していた。

「顰蹙を買った神田の発言ですが、じつは口に出さないだけで同じような行動をとっている人は少なくないでしょう。乳製品や生鮮食料品だと、どうしても鮮度のよさで商品を選んでしまいがち。同じ価格で消費期限が違うのであれば、長もちする方を選ぶのは消費者の心理でしょう。もちろんそれが廃棄ロスに繋がっているのですが、そのためにも店側も品出しを調整するとか、コンビニでも割引シールを導入するなどの対策が必要かもしれません。ネット上にも『後ろから取られるのが嫌なら、陳列しなきゃいい』『正式なルールがないので自由なはず』『まとめ買いをするので、期限が迫ったものを選ぶと、今度は家庭内で廃棄ロスになるだけ』との意見が見受けられました」(メディア誌ライター)

 環境省の23年6月時点でのデータによると、令和3年度の食品ロス発生量は約523万トンに上り、その内訳は家庭からが約244万トン、事業では約279万トンとなっている。家庭からの廃棄と事業での廃棄がほぼ同等となっており、まとめ買いする人がスーパーで手前取りを励行しても、廃棄場所が事業者から家庭に移るだけという意見も一理あるかもしれない。

https://asajo.jp/excerpt/213935

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内山 信二(うちやま しんじ、1981年〈昭和56年〉9月25日 - )は、日本の男性タレントで、俳優、お笑い芸人、グルメリポーター、元子役である。東京都葛飾区出身。身長174cm、体重114kg。スリーサイズ:B117/W110/H105。所属事務所はSHUプロモーション。かつては石井光三オフィスに所属していた。…
18キロバイト (2,072 語) - 2024年3月28日 (木) 23:49

(出典 c26d12a202bc844b04e83ba217338da1.cdnext.stream.ne.jp)


羽振りのいい時代ですね~

1 ネギうどん ★ :2024/05/25(土) 11:59:01.36 ID:qyUtvuv39.net
 7歳で出演した『あっぱれさんま大先生』をきっかけに人気子役として活躍したタレント、内山信二(42)。

  現在は2人の娘を持つ父親でもある彼に、『あっぱれさんま大先生』出演の経緯、後になってわかった明石家さんまの凄味、歩くだけで拝まれてお金を渡され、最高月収は3000万円に到達した子役時代の、自ら「嫌な子供」と語る絶頂ぶりなどについて、話を聞いた。

(略)

「ロケが終わったら、両手に団子、ポケットの中に札束みたいな」

ーーそのおかげで、内山さんはブレイクするわけですよね。

内山 小4あたりで有名になって、ガーンと売れましたけどね。でも、僕の芸能人生ってそこがピークで、後は徐々に下がっていきましたから(笑)。

『あっぱれ』で街頭インタビューみたいのをやってて、巣鴨のとげぬき地蔵尊でロケしたんですよ。そうしたら、おばあちゃんが次々と寄ってきて「これで好きなもの買いなさい」ってお金を渡してくれるんですよ。お金だけじゃなくて、団子なんかも持たされて。ロケが終わったら、両手に団子、ポケットの中に札束みたいな。

ーー内山さんって宝船に乗っていそうな雰囲気もありますよね。うっかり、手を合わせたくなるといいますか。

内山 街頭ロケに出ると、いつもそんな感じでしたね。実際、何度か拝まれたことがあったし。「日本の孫」みたいな扱いをしてくれて、どこに行ってもお金をもらえましたね。このルックスやキャラクターが良かったのかなとは思います。

  また、テレビ局に出入りしている子供の役得みたいなものがあって。正月になっていろんな局に行くと、プロデューサーさんや芸人さんがお年玉をくれるんですよ。バブルな時代だったので、毎年100万円くらいはもらってましたね。

ーーイベントでソフトクリームを舐めて、ギャラ50万円なんて仕事もあったと。

内山 そうそう。「内山くんとソフトクリームを食べよう」みたいなイベントで。小4なんて、気の利いたことなんか喋れないじゃないですか。だから特設会場みたいなとこに出ていって、お客さんに挨拶して、ソフトクリームをペロンと舐めるという、それだけ。それで1ステージ50万円ですから。時代がバブルだったのもあって、全員がどうかしてましたね。

9歳の頃の内山さん。この少年が月収3000万円を稼いでいたことになる写真を見る
9歳の頃の内山さん。この少年が月収3000万円を稼いでいたことになる
ーー小4で最高月収が3000万円だったそうですけど、それも頷けますね。

内山 ブレイク時は、新宿のエキストラ事務所から違う事務所に移っていたんですけど、当時って給料が現金受け渡し制だったんですよ。自分で1000万円単位の受領書のサインを書いて、確定申告も一応やってました。

 小4でそんなですからね。周りの大人もちやほやしてくれるし、感覚がおかしくなっていくんです。はっきり言って、嫌な子供だったと思いますね。

全文はソースで
https://bunshun.jp/articles/-/70816

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いしだ 壱成いしだ いっせい、1974年(昭和49年)12月7日 - )は、日本の俳優、歌手。本名:星川 一星(ほしかわ いっせい、旧姓:石田)。個人事務所ぷりますてら所属。 1974年12月7日(土曜日)、東京都出身。実父・石田純一は星川まり(1955年 -…
30キロバイト (3,878 語) - 2024年6月2日 (日) 18:41

(出典 img.news.goo.ne.jp)


全員一線級ですからね~

1 ネイトのランプ ★ :2024/05/25(土) 01:38:56.02 ID:npHQXiLz9.net
https://news.yahoo.co.jp/articles/2223cd89326bb38f330217a21ceec39c6b16a6c4
 1992年にデビューすると、『ひとつ屋根の下』(フジテレビ系)、『未成年』、『聖者の行進』(TBS系)など、ヒットドラマに次々と出演。若くして人気俳優としての地位を確立したいしだ壱成。同じく人気俳優である父を持ち、栄光と挫折を経験した彼の「THE CHANGE」とは?【第1回/全2回】

 初めて父・石田純一と会ったのは、オーストラリアの留学から帰国してレゲエのバンドに夢中になっていた16歳の頃でした。

 2歳の頃に両親が離婚し、それ以降、母の元で育った僕は、父に会うことは一生ないだろうと思っていましたが、ジャズピアニストの伯母(父の姉、石田桃子)が母に「コンサートをやるから壱成を連れて遊びに来ないか。純一も来るから」と誘ってくれたんです。せっかくのお誘いだからと行くことにしたんです。ただ、とりあえず行ってみようという感じで、そんなに前向きではなかったと思います。

 コンサート終了後、会場の出口のところで、伯母と父が立っていました。当時の父はいわゆる“トレンディ俳優”。でも、“父”というよりは、「うわ~芸能人だ、すげぇ」という感覚でしたね。

 もちろん僕はすぐに分かりました。また父も、目が合うとすぐ「よく来てくれたね」と言葉をかけてくれました。母と一緒だったからすぐに分かったみたいです。そして僕をしっかりとハグしてくれました。

 それ以降、父は僕にしばしば連絡をしてくれるようになり、一緒に食事をするようになったんです。この頃の会話は敬語だったのを覚えています。親子なのに。「将来、どうしたいんだ」と聞かれたら、「バンドマンとかっすかね」って答えたりして。

 そんな中で父から、芝居に興味はないかと誘われるようになり、ロケ現場の見学に連れて行ってもらったり、テレビ局のプロデューサーを紹介してもらったりして、ついには俳優デビューをすることになったんです。これが人生の大きな転機となりました。

https://news.yahoo.co.jp/articles/2223cd89326bb38f330217a21ceec39c6b16a6c4?page=2

同世代で意識をしていた俳優は「木村拓哉さん」
 中でも、『ひとつ屋根の下』(フジテレビ系)に出演した際は、監督さんにも助監督さんにも怒鳴られるし。現場の厳しさを叩き込まれて、まさに修行でした。落ち込んでいる暇もないくらいテンポの早い現場で、楽屋が一緒だった山本耕史君には、よく慰められていました。

 大変ではありましたが、多くの共演者やスタッフの方たちとドラマを作り上げていく作業は本当に楽しいと感じましたし、4か月間の撮影が終わったら、まるで少林寺から出てきた修行僧のように、「すっごい鍛え上げられたな」と実感もしました。

 当時、同世代で意識をしていた俳優は木村拓哉さんです。ご本人に直接確認をしたことはないのですが、木村さんは台本をしっかりと読み込んで、役柄をイメージして、さまざまなパターンを用意して撮影に臨んでいる方だなと思っています。

 本当にストイックに演じていらっしゃる俳優です。一方の僕は……良く言えば“憑依型”ということになるのかもしれませんが、ちゃらんぽらんなパターンで。準備はせりふを入れてくるだけ。本番が始まると、パチッと役に変わって、そして、カットがかかると自分に戻るタイプですね。

 だから自分と違うアプローチをする木村さんの演技は、とても意識をしていましたし、俳優としてもすごく好きでした。

 あと、木村さんといえば、忘れられない思い出があります。ドラマ『未成年』(TBS系)に出ていた頃のことなんですけど、その撮影の休憩時間に、共演者とわちゃわちゃと話していたら、隣のスタジオで自らが主演を務める別のドラマの撮影をしていた木村さんが来たことがあって。木村さんは僕に「負けないからな!」と声をかけてきました。

 冗談か本気か分からないですけど、木村さんの主役としての責任感の強さを感じました。僕ももっと主役としての責任感を持たなきゃいけないのかな、視聴率とか気にしなければいけないのかなって考えていると、(『未成年』で共演の)反町隆史君が「気にすんなよ」と声をかけてくれたのをよく覚えています。

https://news-pctr.c.yimg.jp/uUzvQ3lML_bkIqyakc1vFhNrRI0RUQxg5aFkrX0xDg1_T0wXrbEJjtNGtrf1o9y3ZCnndWkH2LG2Odz5YYqgMjSC3wFAhGkE4XAaSgSAkjRwzWKA4JBuFGkiCSCJWY0hgkG6vEHGwHzH3Sgx1Av6IYowpgt0-tvrihuhRQVd56E4W6cCvW00WgwH8GHotowF

(出典 fc.ismcdn.jp)

【【今では?】いしだ壱成さんの「ある過去」に当時の豪華さを感じることに】の続きを読む

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