27日に行われた東京五輪・ソフトボールは日本が2008年の北京以来、13年ぶりに優勝、見事連覇を成し遂げました。

この快挙の裏で、ネットでは"ある驚愕の記録"に注目が集まっています。




■ネットの声


いいかげん(アかツキ)
@iikagen_450

2008年 北京オリンピック 決勝戦 【日本】投手:上野 【米国】投手:オスターマン - アボット 【解説】宇津木妙子 2021年 東京オリンピック 決勝戦 【日本】投手:上野 - 後藤 - 上野 【米国】投手:オスターマン - カルダ - アボット 【解説】宇津木妙子 某所から拾ってきたけど同窓会かな?

2021-07-27 23:02:12

(出典 @iikagen_450)

サーシャ
@0425_sasha

2008年 北京オリンピック 決勝戦 【日本】投手:上野 【米国】投手:オスターマン - アボット 2021年 東京オリンピック 決勝戦 【日本】投手:上野 - 後藤 - 上野 【米国】投手:オスターマン - カルダ - アボット🤔????????

2021-07-27 22:59:21

(出典 @0425_sasha)

komutsun
@komutsun

2008北京五輪決勝◯上野由岐子 ●オスターマン2021東京五輪決勝◯上野由岐子 ●オスターマン時をかける上野に全俺が泣いた

2021-07-27 22:58:45

(出典 @komutsun)

なかたか@ 東京ベース
@nanntokacchi

北京五輪ソフトボール決勝(2008年)東京五輪ソフトボール決勝(2021年) 日本先発:上野米国先発:オスターマン13年経過しているのにどういうわけ!?#Tokyo2020 #ソフトボール

2021-07-27 22:55:41

(出典 @nanntokacchi)

必要不急のにきうP
@nikyuu2q

2008年 北京オリンピック 決勝戦【日本】投手:上野【米国】投手:オスターマン - アボット2021年 東京オリンピック 決勝戦【日本】投手:上野 - 後藤 - 上野【米国】投手:オスターマン - カルダ - アボット ええ・・・・

2021-07-27 22:51:54

(出典 @nikyuu2q)

虎太郎
@horiko315

08.北京投手日本:上野米国:オスターマン-アボット21.東京投手日本:上野-後藤-上野米国:オスターマン-カルダ-アボットおかしなことやっとる

2021-07-27 22:45:47

(出典 @horiko315)

ゆーし
@chinayaku0205

上野とオスターマンとアボット13年前も投げてるの笑った

2021-07-27 22:43:07

(出典 @chinayaku0205)

ライ【藤澤 環姫P】
@Ray_tamaki

2008年 北京オリンピック 決勝戦【日本】投手:上野【米国】投手:オスターマン - アボット  ↓13年後2021年 東京オリンピック 決勝戦【日本】投手:上野 - 後藤 - 上野【米国】投手:オスターマン - カルダ - アボットどっちもヤベエなwwww

2021-07-27 22:42:17

(出典 @Ray_tamaki)

💎 赤 坂 💎
@428_shiburin

アメリカ人「上野まだ投げててワロタ」日本人「アボットとオスターマンまだ投げててワロタ」

2021-07-27 22:47:59

(出典 @428_shiburin)

■関連情報
時が戻った!? 何と13年前と同じ先発上野由岐子&オスターマン 最後の投手も上野由岐子&アボット【東京五輪ソフトボール】
…とだけではなく、両チームの先発投手が上野、オスターマンという組み合わせが同じ。さらには両チームの最後の投手が上野、アボットという終わり方まで一緒という…
(出典:中日スポーツ)

キャサリン・リー・"キャット"・オスターマン(Catherine Leigh "Cat" Osterman、 1983年4月18日 - )はアメリカ合衆国テキサス州ヒューストン出身の女子ソフトボール選手。

左投左打。ポジションは投手

2004年アテネオリンピックで金メダルを獲得、2008年北京オリンピックでは銀メダルを獲得している。187センチという高身長や、長い腕と指から放たれる鋭く曲がる変化球が武器である[1]

小学校1年生からソフトボールをはじめたものの、サッカーバスケットボールの影響でソフトボールはやめていたが、5年生の時に再びソフトボールをプレーしだした。2002年テキサス大学オースティン校に入学して以降は、2006年に卒業するまでの4年間の間に2265奪三振の記録を打ち立てた。だが、この記録は2007年5月6日モニカ・アボットに更新されてしまったものの、7イニングにつき14.34の奪三振率の記録は未だに破られていない。また、20回のノーヒットノーランや、10回の完全試合などの記録も持っている。

2011年からは1年間、日本ソフトボールリーグの豊田自動織機でプレーしていた。[2]